関山 中尊寺[岩手県平泉 天台宗東北大本山]

貫首ご挨拶

貫首ご挨拶

天台宗東北大本山 中尊寺
貫首 奥山 元照

 この度はからずも中尊寺一山の推挙により前貫首山田俊和大僧正より法統を継承致し、天台座主猊下より中尊寺中興第二十九世貫首職を拝命致しました。

 明年は宗祖伝教大師一千二百年大遠忌に祥当し、中尊寺におきましては「平泉」世界遺産登録10周年、また東日本大震災から10年を数える大きな節目の年となります。

 中尊寺開山慈覚大師、大壇越藤原清衡公の中尊寺開創への願いはそのまま宗祖大師の御志に他ならないものと受けとめ、世情定まりない現代に「浄仏国土」を建設すべく努めてまいる所存です。

合掌

貫首法話

平和を祈る―安分(アンブン)の心―
2022年7月

平和を祈る  ―安分(アンブン)の心―

 3年ぶりに、「春の藤原まつり」が5月1日から5日まで平泉町各所で開催されました。中尊寺では、四代公追善法要・稚児行列に始まり、白山神社能楽堂では御神事能が奉納され、郷土の芸能が地元の人々により力強くそして華やかに披露されました。3日に行われた「源義経公東下り行列」では、全国より多くの方々に平泉にお越しいただき、笑顔がとても素敵で爽やかな令和の源義経公とともに、往時をしのびながら新緑の平泉を満喫していただけたことと思います。

 また、6月29日世界遺産登録を記念して定められた「平泉世界遺産の日」には、平泉町の無量光院跡で「平和の祈り」が行われ、奥州藤原氏が願った平和と平等の理念を発信して争いのない平和な世界の実現を願いました。町内外より約300人が参列し、町内の寺院住職が法要を行い、東日本大震災犠牲者の冥福や震災からの復興、世界各地で勃発している紛争の早期終結を願いました。

 法要に続き、地元平泉小学校4年生と長島小学校5、6年生が平和への願いが歌詞に込められた「平泉讃歌」を合唱で披露し、その清らかな澄んだ歌声が会場の無量光院跡に響き渡りました。

 今回の法要のお焼香には、「平泉のかをり創造プロジェクト」様より、当日お焼香用のお香をご奉納いただき、平安時代の平泉で使われていたと推定される「香り」にのせて、世界平和への誓いを新たにさせていただきました。

 さて、奥州藤原氏は、公家中心の時代から武士の時代へと移行しつつあった平安末期、当時の最新の都の文化を取り入れながら、この平泉に卓越した政治力によって平和文化都市を建設しました。当時の都の朝廷、そして頼朝を中心とした坂東武者たちとも、お互いの立場を尊重しながら友好関係を保ち、平泉を中心とした陸奥の国に平和都市を独立実現しました。

 当時の日本という国の中で、陸奥の国の置かれた立場を自覚して、他国とのバランスを保ちながら、お互いが幸せになる道を探っていったのではないかと思います。そしてそこには、お互いの力のバランスを保つために、一定のそれ以上は望まないという、足ることを知る心、知足の心と、それぞれの分、立場に安ずる、安分の心構えがあったのではないかと思います。そのバランス感覚こそが、当時の平和な陸奥の国を実現したのではないでしょうか。

 何か問題が起こった場合には話し合いで平和的に解決しなければならないのですが、お互いの約束を破ったり、武力で少しでも多くの物を得ようとして他国に侵入したりすると、力のバランスが不安定になり、突発的なちょっとしたきっかけで武力による戦いという形へと進んでいってしまう可能性があります。

 藤原清衡公は、文化の力で国を治め平和を実現しましたが、その根底には、足ることを知り分に安ずる知足安分の覚悟があったのだと思います。そしてそこに平和な陸奥の国を実現した奥州藤原氏のリーダーとしての品格を持っていたのだと、昨今の国際紛争のニュースを目にするたびに実感しています。

 平安の昔より語り継がれ、歌い踊り継がれてきた郷土芸能の数々には、多くの戦いによって不慮の死を遂げた生きとし生けるもの全てのものへの鎮魂の心と、未来に向けて力強く歩んでいく決意が込められています。藤原四衡公より発せられたその志が、平泉の人々によって今日まで数多くの伝統行事の中に伝えられていることを、心強く誇りを感じることができました。

 そしてそこには、すべての命を尊ぶ慈悲の心と、平和を実現するための安分の心があるのではないかと思います。

 

無量の光につつまれて
念仏行人 阿波之介(あわのすけ) 2022年4月

無量の光につつまれて

 ある日の夕方、携帯電話に番号表示のみで発信者がわからない着信がありました。どなたからの電話かなと思いつつも電話に出ますと、懐かしい大学時代書道研究部先輩からのものでした。

 その電話の内容ですが、現在その先輩は山形市の浄土宗寺院の住職で、令和6年に浄土宗開宗850年を迎えるため、浄土宗教誨師会の記念事業のひとつとして、中尊寺金色堂前にある「阿波之介舎利塚 顕彰碑」(あわのすけ しゃりづか けんしょうひ)の拓本を採る依頼を教誨師会事務局より受け、出来れば春のお彼岸前にその作業を行う日程を相談して決めたいということでした。また、一人では拓本を採る作業が難しいので、同書道部OB後輩の青森市浄土宗住職と共に行いたいとの事でした。

 「阿波之介舎利塚 顕彰碑」は、南無阿弥陀仏の御名号の彫られた舎利塚、手水鉢とともに金色堂の東側に建立されています。金色堂を参拝するには必ずその前を通って金色堂入口から入堂するのですが、多くの方々は金色堂を目指しているので、立ち止まることなく通り過ぎる方が多いのではないかと思います。

 さて、この「阿波之介」さんは、12世紀末、平安時代末期から鎌倉時代初期の頃の方で、生没年は不明とのことです。京都伏見居住の陰陽師(おんみょうじ)であったと伝えられています。陰陽道の技を悪用して当時の都の人々をたぶらかし、巨万の富を築き、欲望のままに人生を送っていたそうです。
 そんなある日、何かの用事があったのでしょうか、播磨国(兵庫県西側)に向かいましたがその途中で道に迷ってしまいました。通常ですと三日の道程のところ七日もかかってしまったそうです。その時、阿波之介さんは、「今の生きている世の中においても旅をするには道案内が必要であるのだから、まして浄土に往生するには道案内をしてくれる善知識が必要である。」と思い至ったそうです。そこで、当時京の都でお念仏の教えを広めていた法然上人の説法を聴聞し、心を打たれ深く帰依して弟子となりました。財産を全て手放して、上人に常に従って日々お念仏を唱える身となったそうです。その後、奥羽地方で布教していた金光和尚に法然上人のご臨終を知らせるために陸奥の国を訪れ、中尊寺金色堂に詣でた際に、金色堂阿弥陀如来御宝前に於いて端座合掌し、念仏百遍ほど称えてその場にて往生されたと伝えられています。そして荼毘に付した後の遺骨は金色堂前の阿波之介舎利塚にまつられたとされています。
 阿波之介さんは、奥州藤原氏清衡公により建立された平泉の中尊寺金色堂にお参りされ、お念仏を唱えながら、金色堂の「無量の光」につつまれ、阿弥陀様を善知識として、たよりにしながら、西方極楽浄土へ迷うことなく、安心して旅立たれ往生されたのだと思います。

顕彰碑 阿波之介舎利塚

 

渋柿の渋そのままの甘さかな
2021年12月

渋柿の渋そのままの甘さかな

 美しい紅葉の中、平泉秋の藤原祭りは、奥州藤原四衡公の追善報恩法要から始まり、中尊寺では「稚児行列」「菊祭り」、そして「仕舞・枕慈童」が白山神社能舞台で奉納され、毛越寺では「延年の舞」が荘厳に舞われました。
 また、地元で親しまれてきた郷土芸能、「行山流舞川鹿子躍」「栗原神楽」「川西念仏剣舞」「朴ノ木沢念仏剣舞」「達谷窟毘沙門神楽」などが両山でそれぞれ奉納披露されました。
 さらに、中尊寺境内では、夕刻より参道照明「紅葉銀河」と題して、多くの方々にゆく秋のすばらしさを満喫していただけたのではないかと思います。
 一連の行事は、平安の時代より、人々の秋の実りに対しての感謝と、また安心して暮らすことができる浄仏国土を目指された奥州藤原四衡公、神仏への感謝の心が込められたものであると感じることができました。

 11月3日、中尊寺本堂前で「川西念仏剣舞」、金色堂前で「朴ノ木沢念仏剣舞」を拝見しました。地元ではそれぞれの「剣舞」は「けんばい」と言われています。どちらの念仏剣舞も、東北地方の陸中一帯に伝承されている念仏供養踊りで、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら仏の教えによって衆生を済度するというストーリーで進められます。春秋の平泉藤原まつりや中尊寺の施餓鬼法会などの際に、精霊供養として踊られてきました。
 伝承によりますと、「川西念仏剣舞」は藤原清衡公治世の頃、前九年・後三年の役で命を落とした安倍氏・清原氏の亡霊が夜ごと現れ人心を乱したので、清衡公は兵を繰り出し退散させようとしましたが、なかなかかないませんでした。そこで、中尊寺にまつる山王権現に祈ったところ、1匹の猿(山王権現のお使い)が現れ、念仏踊りを舞いながら亡霊を浄土に導き、清衡公の念仏供養により成仏したことに始まると伝えられています。
 また、「朴ノ木沢念仏剣舞」は、平泉の高館で無念の最期を遂げた源義経主従を鎮魂するためにつくられたという「高館物怪(たかだちもっけ)」を受け継いでいるといわれ、お使いの猿が現れて、念仏の功徳によって武者の亡霊を鎮魂する様子が太鼓と念仏鉦の音とともに力強く踊られ、極楽浄土へと導かれていきました。

 前九年・後三年の役以前にも、またその後の戦乱でも、家族を故郷に残して命をかけて出兵し、無念の死を遂げた何万何千となる多くの兵士やその家族の恨み苦しみというものは、拭いきれないものがあると思います。そういった中で、清衡公もまた自らのご両親ご家族の命をこれらの戦いによって奪われました。清衡公の平和への願いが込められた鎮魂の剣舞(けんばい)は、敵味方の恩讐(おんしゅう)を越えて、区別なく極楽往生させる浄仏国土建設そのものを現したものであると思います。

 中尊寺眺望レストラン「かんざん亭」の広場で、美しくそして本当においしそうに色づいた柿の実がたわわにみのっていました。しかしながら、伺いますと実は渋柿だそうです。そういえば子供の頃、秋になるとおいしそうに色づいた庭の柿の実を、渋柿だとは知らずに口にして、顔がゆがむほど渋かったことを思い出しました。しかしその渋柿も、皮をむき、吊るし柿にしてしばらく冬の寒風に吹かれて太陽に照らされますと、柿が本来持っているタンニンの渋みがそのまま甘味に変わります。また、焼酎などで拭いたり浸したりとひと手間加えると、甘くおいしい甘柿となるのです。

 念仏剣舞で、亡霊が仏様のお使いの猿に導かれるように、また渋柿が太陽に照らされたり、ひと手間かけて渋柿がそのまま甘柿となるように、わたくしたちも日々の生活の中で色々な困難はあるわけですが、仏様の教え、家族友人多くの方々からのアドバイスによって、どんな苦労も苦労でなくなるように、工夫しながら受け止めて、皆で力を合わせ一歩づつ進んでまいりたいと思います。

 

志を立て一隅を照らす
2021年9月

志を立て一隅を照らす

 夏の終わりを告げる平泉束稲山(たばしねやま)「大文字送り火」のお盆の行事が終わると、いつの間にか秋の気配が感じられ、10月の菊まつり、そして11月には奥州藤原氏の追善法要とともに、能楽や各地の郷土芸能が「秋の藤原まつり」として境内で行われます。しかし昨年来、新型コロナウィルス感染症の蔓延により、本年も実施規模の縮小や一部中止とせざるを得ないことになりました。
 賛否のある中でしたが、今年開催された2020東京オリンピック・パラリンピックは、ほとんどの競技が無観客で実施されました。コロナ禍の厳しい社会情勢でありましたが、世界中の多くの人々がテレビ観戦で各国のトップアスリートたちを応援し、そのひたすらに競技に打ち込む姿から感動を受けた方もいらしたのではないでしょうか。
 また、アメリカ大リーグでは、地元岩手県奥州市出身のエンジェルス大谷選手が二刀流で大活躍し、さらにその紳士的な言動に賞賛の声が多く寄せられているとの報道には、日本人として誇らしく感じた方も多かったと思います。

 「少年よ、大志を抱け。(Boys, be ambitious.)」という有名な言葉があります。明治9年、ウィリアム・スミス・クラーク博士は将来の北海道開拓の指導者を養成するため「札幌農学校(現北海道大学)」の初代教頭として招かれました。学生たちには自然科学一般を英語で教えましたが、わずか9カ月余の就任で母国アメリカに帰国されたそうです。クラーク博士は、札幌農学校1期生の教え子たちとのわかれに際して、馬上からこの言葉を残しました。当時、日本という国が明治維新を迎えて、これから世界の国々と共に発展していくために、国を背負っていく若者たちに送ったエールでありました。

 「大志」志(こころざし)とはどういうものでしょうか。若い方々にとっては将来の夢であり、またある程度の年齢の方にとっては、今までの人生を振り返りながらのこれからの人生の過ごし方であったり、日々の生活の心構えであると思います。これから歩んでいく人生の目標であり、生きていくその時々のモチベーションになるものでもあります。それはちょうど、ローソクであればその火を灯すことが志を持つことになると思います。ローソクは火を灯して初めて光を放ちますが、私達人間も志を立てて歩むことで先ず自分自身の人生を輝かせ照らすことが出来るのではないかと思います。せっかく才能があっても、志を立てて進まないとその才能は眠ったままになってしまいます。自分の中にどのような才能があるのかはなかなか分かりにくいことだと思いますが、具体的に行動することで少しでも自分の才能を開発していきたいものです。

 世界各国からのオリンピック・パラリンピックのアスリート達、アメリカ大リーグエンジェルスの大谷選手は、それぞれの志を持って各自の才能に向けて努力してその光を放ちました。そしてその光は、自分自身が輝くだけでなく、多くの人々の心を照らし、その輝きが世界の人々に勇気と感動を与えたのだと思います。

 クラーク博士の残された言葉には、まだその続きがあるとの説があります。それは、「少年よ、大志を抱け。しかし金銭を求める志であってはならない。利己心を求める志であってはならない。名声という浮ついたものを求める志であってはならない。人間としてあるべき全ての物を求める大志を抱きたまえ。」ということだそうです。
 つまりこの「志を立てる」とは、自分だけのための自己中心のものではない、お互いを尊重し合いながら、自分だけではなく全ての人が幸福を感じることが出来るための「大志」であり、宗祖伝教大師のお言葉の、「一人ひとりが一隅に輝くことによって千里の世界を照らすこと」になるのだと思います。

 まだしばらくの間は、コロナウィルス蔓延により制約のある生活を送らざるを得ませんが、それでも皆様お一人お一人がそれぞれの「大志」を心にお持ち頂きながら、クラーク博士の激励の言葉「ボーイズ・ビー・アンビシャス!」を胸に、一隅を照らしながら力を合わせてこの難局を乗り越えて参りたいと思います。

 

梵音は寂なり(ぼんのんはじゃくなり)
2021年6月

梵音寂

 中尊寺境内の峯薬師堂前、弁天堂の周りに池があります。新緑の5月から夏の8月にかけて「カカカカカカカッ、コココココココッ」と、雨が降りそうになると池のあちらこちらから乾いた音色でリズミカルに何かの鳴き声が響き渡っています。初めて耳にしたときには、蛙の鳴き声とは思えませんでした。伺うと、国の天然記念物モリアオガエルの鳴き声で、中尊寺梅雨時から夏の風物詩とのことです。
 境内の池の中でも峯薬師堂の池になぜかたくさん生息しているそうで、アマガエルよりも一回り大きく、目の周りが金色に縁取られているとのこと。鳴き声は、うまく文字にするのが難しいのですが、アマガエルなどの「ケロケロケロ」とは全く違いました。
 しばらく耳を澄まして聞き入っていると、突然鳴きやみ境内は静寂に包まれ、申し合わせたかのように一匹として鳴き声は聞こえてこなくなりますが、また突然一斉に大合唱が始まります。しばらく聞いているといつの間にか心が落ち着いていつまで聞いていても飽きることはありません。

 他の寺院の法要に出席しますと、僧侶の皆さんがお経を唱えるのを聞くことになります。普段は自分でお唱えすることが多いわけですが、おもしろいもので、他の僧侶の方々がお唱えになるお経を聞くことはなんとなく心地よく、聞くことも良いものだなあと思います。特に、境内などで、遠くのお堂の中から鐘の音と共に響いてくる読経の声を聞くのは心が落ち着いて、その静寂を一層感じさせてくれます。

 お経に節をつけたものを「聲明(しょうみょう)」といいますが、天台宗の法要でよく使われる聲明が書かれている本に「魚山聲明全集」という一冊があります。その見開きのページに、筆文字で「梵音寂(ぼんのんじゃく)」と揮毫されています。揮毫されたのは、第250世天台座主中山玄秀猊下です。
 「梵音」とは「仏様の声、僧侶が唱える読経や聲明で奏でる音」、「寂」とは「静かで奥深い趣」となりますので、「梵音寂」とは「僧侶の唱える聲明がただ聴こえそこには静寂の世界が広がっている様子」という意味になるかと思います。
 そして、その魚山聲明集の序文には、「松風鳥聲(しょうふうちょうせい)は天地の唄音なり・・・」と述べられています。つまり、「梵音」とは、僧侶の唱える聲明のみならず、松の枝をすり抜ける風の音、鶯やカッコウの鳴き声、ゴーンと響く鐘の音、川の流れる音、参拝する方々のささやく声、そしてモリアオガエルの声など、森羅万象のあらゆるものが奏でる音、つまり生きとし生けるものの命の声すべてが「梵音」で、それらすべての物がバランス良く形作る世界そのものが「寂」であるということになるのではないでしょうか。

 仏教はインドの深い森の中で生まれました。その中で森の多様性に仏教は学び育てられ、長い時間をかけてインド、中国の神々を取り入れました。日本仏教となっては、山川草木すべてに仏性を認めて神仏混淆を進めました。
 日本人の宗教に対する形は、どちらかというと熱烈な熱いものではなく、四季折々の豊かな自然の中で形作られたもので、この世の中の様々なものを包み込みながら祈る「安らかな信心」ではないかと思います。
 是非、四季折々関山の森中尊寺境内で、また大好きな場所で、あなたの梵音寂の世界を捜して味わってみてください。そうすると、今まで見落としていたものに新たな美しさを感じることができ、やがてそのより深いところを見ることが出来るのだと思います。「梵音寂」の世界を感じるということは、その深まりの中に価値を見いだしていくことであり、そしてその豊かな自然の中の「ほとけ」そのものを観じることなのだと思います。