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中尊寺の歴史

昭和の中興

明治時代以降、金色堂は国庫の補助による数度の修理がおこなわれています。

第二次大戦後、法隆寺金堂壁画の焼失をきっかけとして文化財保護の機運が高まるなか、「文化財保護法」が制定されます。金色堂は国宝建造物第一号に指定され、その他3,000点以上の宝物が国宝・重要文化財の指定を受けます。

昭和25年(1950)には金色堂須弥壇(しゅみだん)の内に800年の間安置されてきた藤原四代公の御遺体の学術調査がおこなわれます。この調査によって四代公の人種、年齢、死因、身長や血液型など多くのことが解りました。また多数の副葬品のなか、四代泰衡公の首桶から発見されたハスの種が平成10年開花に成功し、「中尊寺ハス」として初夏には清楚な花容をみせてくれます。

昭和37年(1962)には破損が著しくなってきた金色堂に対し、初の解体修理がおこなわれます。これは建物すべてを解体し、内陣部材を東京に移送しての大規模な修理事業でした。6カ年におよぶ緻密な作業の積み重ねによって金色堂は創建当初の輝きを取り戻します。そしてこの時、重要文化財である木造の覆堂はその役割を終え、防災・防湿に万全を期して新覆堂が建設されました。

文化財に対する保護体制が整備されるなか、宗教的には比叡山延暦寺より不滅の法灯を分灯し、天台宗東北大本山の称号を認められるなど、中尊寺は東北の宗門においても中心的役割を担うこととなります。

こうした中、多くの文人や研究者などが平泉を訪れ、すぐれた作品をのこしています。

そして今日も金色堂は参詣者のまえに光を投げかけています。

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