1. ホーム
  2. 中尊寺の紹介
  3. 中尊寺の歴史

中尊寺の歴史

平安時代の中尊寺

中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山の高僧慈覚大師円仁によって開山されたといわれています。藤原清衡公が長治2年(1105)、関山に中尊寺を造営します。はじめに白河関(福島県)から外浜(青森県)にいたるまで一町ごとに笠卒都婆と呼ばれる供養塔を建て、その中心にある関山に一基の塔を建てたといわれます。その後多くの伽藍が造立され、その規模は寺塔40余宇、禅坊300余宇に及びました。

鎌倉・室町時代の中尊寺

文治5年(1189)、源頼朝を棟梁とする鎌倉の軍勢が東北地方に兵を向け、ついに奥州藤原氏は滅亡します。頼朝が平泉に入った時、秋風と、音もなく降りしきる雨の中、灰となった町には人影すらなかったと『吾妻鏡』は伝えています。

伊達藩と中尊寺

江戸時代には平泉は伊達藩領となります。歴代の伊達公は寺の収入を安堵し、堂社を修理するなど中尊寺をあつく保護します。現在参道ぞいに立ち並ぶ樹齢350年の老杉も伊達藩によって植樹されたものです。山内に点在する堂の多くもこの時代に建立されました。

松尾芭蕉と中尊寺

源義経が平泉に自害し、奥州藤原氏が滅亡して500年目にあたる元禄2年(1689)、松尾芭蕉は門人の曽良と2人、「奥の細道」の旅に出ます。芭蕉46才、曽良41才の春です。

昭和の中興

明治時代以降、金色堂は国庫の補助による数度の修理がおこなわれています。
第二次大戦後、法隆寺金堂壁画の焼失をきっかけとして文化財保護の機運が高まるなか、「文化財保護法」が制定されます。

年表

奈良時代から現代までの、中尊寺に関わる歴史をまとめています。

中尊寺の紹介TOPに戻る