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中尊寺の歴史

伊達藩と中尊寺

戦国時代に入ると平泉の諸寺院はますます荒廃が進みます。豊臣秀吉は小田原北条氏を降すと、ひき続いて東北地方の仕置きをおこないます。この際、秀吉の命令によって中尊寺の秘宝である「金銀字一切経」(きんぎんじいっさいきょう)・「金字一切経」(きんじいっさいきょう)あわせて4,000巻以上が京都伏見に運び出され、それが現在「中尊寺経」として高野山や観心寺などに所蔵されています。

江戸時代には平泉は伊達藩領となります。歴代の伊達公は寺の収入を安堵し、堂社を修理するなど中尊寺をあつく保護します。現在参道ぞいに立ち並ぶ樹齢350年の老杉も伊達藩によって植樹されたものです。山内に点在する堂の多くもこの時代に建立されました。また伊達公は能楽を愛好し、古来中尊寺の僧侶により山内の白山神社に奉納されてきた御神事能(ごじんじのう)を推奨し、能舞台を建立して能装束を奉納しました。

この時代、江戸幕府の寺社政策によって中尊寺は上野の東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)の直末寺となりました。

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