みどころ
中尊寺の四季
春
藤原鎌足を祖先に持ち、
奥州藤原氏も一族に名を並べる大歌人・西行法師は、
その生涯で2度平泉を訪れたと伝わっています。
そんな西行は、束稲山に咲き誇る桜を見て、
「ききもせず たばしねやまのさくら花
よしののほかに かかるべしとは」と詠みました。
束稲山は安倍頼時の時代に1万本の桜が植えられたとされ、
桜の名所でした。
現在の束稲山は当時の桜はほとんどなく、
駒形山に整備された西行桜の森に
3000本余りの桜が植えられています。
夏
毎年7月中旬から8月中旬にかけて、
金色堂と讃衡蔵の間の細い道を下り、
突き当たりを左に曲がってすぐの池に「中尊寺ハス」が咲き誇ります。
「中尊寺ハス」とは、別名「泰衡蓮」という古代ハスのことです。
昭和25年(1950年)の金色堂発掘調査の際、
四代泰衡の首桶から約100粒の蓮の種が見つかりました。
当時の蓮の権威として知られた大賀一郎博士にその種の一部が託され、
大賀博士の門弟によって発芽、開花の成功に至ります。
ハスは「中尊寺ハス」と命名され、中尊寺の池に植えられたのです。
秋
参道の月見坂をはじめ境内は
鬱蒼とした老杉におおわれているなか、
色づく木々のコントラストが美しく目に飛び込んできます。
大日堂から金色堂への参道沿い、
経蔵周辺にあるイロハモミジやヤマモミジが見事に紅葉します。
神秘的な静寂に包まれている秋の境内に
色づく紅葉をぜひご覧ください。
冬
中尊寺を再度訪れるなら、
前回とは違う季節に来ていただきたいものです。
境内の木々も諸堂も違った表情を見せてくれます。
特に寒冷期は、雪や冷たい風が、
それこそ日に何度も、この山の表情を様々に演出してくれます。
誰もいない月見坂を歩き、
そして、たったひとりきりで金色堂を参拝する時、
諸仏の功徳が自分ひとりに頂戴できるような気がして、
とても贅沢な時間を過ごしたような、
そんな気持ちになるかもしれません。
中尊寺の名所
月見坂
国道4号線より中尊寺坂下へと足をすすめると、月見坂と呼ばれる坂の入り口へとたどり着きます。中尊寺は標高130メートルほどの東西に長い丘陵に位置しているため、この坂が古くから本堂・金色堂へと参拝する人々の表参道として利用されてきました。参道をのぼり始めると、両脇には江戸時代に伊達藩によって植樹された樹齢300年を数えようかという幾本もの老杉が木陰を作り参拝客を迎えます。老杉と山の空気が作り出す荘厳な雰囲気に浸りながら足をすすめると、右手には奥州藤原氏に縁の深い束稲山・北上川・衣川を眺望することができます。古の俳人芭蕉翁をはじめ多くの旅人がここで足を止め眼下に広がるその光景を眺め、在りし日の平泉の栄華に想いを馳せたに違いありません。
本堂
中尊寺の中心となる堂塔のひとつで、年間を通じて多くの法要・儀式、そして様々な行事が行われています。現在の本堂は明治42年に再建されたもので、本尊の釈迦如来坐像は丈六仏という一丈六尺の大きな仏様です。初代清衡公が中尊寺造営の折「丈六皆金色の釈迦如来」を中尊寺のご本尊様に安置したことにならい、平成25年、現在の仏様を建立・安置いたしました。本尊の両脇には伝教大師最澄様より灯りつづける「不滅の法灯」が本山延暦寺より分燈・護持されております。
金色堂[国宝]
金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工。そして象牙や宝石によって飾られています。須弥壇の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっております。この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥壇のなかに今も安置されております。仏教美術の円熟期とも称される平安時代末期、東北地方の二度にわたる大きな戦いで家族をなくし、後にその東北地方を治めた清衡公が、戦いで亡くなってしまった全ての人々、そして故なくして死んでしまったすべての生き物の御魂を極楽浄土に導き、この地方に平和をもたらすべく建立した中尊寺の堂塔が古の栄華を今に伝えます。
讃衡蔵
讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館で、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の御遺体の副葬品などが納められております。平安時代奥州藤原氏によって造営された、往時の大伽藍中尊寺の様子を今に伝えます。
中尊寺の文化財
丈六仏じょうろくぶつ
讃衡蔵に入ると正面に3体の丈六仏が安置されています。向かって左が薬師如来(もとは閼伽堂の本尊、金色院蔵)、中央が阿弥陀如来(もとは本堂の本尊、中尊寺蔵)、右が薬師如来(もとは峯薬師堂の本尊、願成就院蔵)です。いずれも平安時代後期の作とみられ、おだやかな表情をしています。
丈六とは、1尺(30.3cm)の16倍、1丈6尺の意味ですが、坐像なのでその半分強(266~273.3cm)の像高。3体ともに桂材で、重要文化財。
金銅華鬘こんどうけまん
金色堂にかけられていた銅製鍍金の華鬘。華鬘とは花輪のこと。インドでは生花を編んで輪にし、仏像の首や腕に掛けて供養した。のち、金属や皮、木などで花をかたどった華鬘がつくられ仏堂を飾るようになった。団扇形の内側には極楽に咲くといわれる宝相華(ほうそうげ)を透かし彫りにし、中央に総角結びのかざり紐、左右には極楽に飛ぶ人面鳥・迦陵頻伽(かりょうびんが)を彫り起こし、浄土世界を演出している。
中尊寺金色院 蔵
金光明最勝王経 金字宝塔曼荼羅こんこうみょうさいしょうおうきょう きんじほうとうまんだら
紺紙に金泥で金光明最勝王経を塔の形に細字で写経し、一巻で一塔、計十塔からなる。塔は各部が精密にあらわされ、初層では釈迦如来が説法をおこなっている。塔の前には浄土の園池が広がり、仏法を聴聞する者が集う。塔の周囲には大和絵(やまとえ)風の彩色画によって経の意味が色彩豊かに展開している。宝塔曼荼羅は、写経・造塔造仏・経典解説の三功徳を一度に成就する善行として平安から鎌倉時代にかけてしばしば描かれたが、本図はその中でも代表作である。
中尊寺大長寿院 蔵
紺紙金銀字交書一切経こんしきんぎんじこうしょいっさいきょう
紺紙に銀泥で界線を引き、金字と銀字で1行ごとに経文を書いている。初代清衡公の発願になるもので、永久五年(1117)から8ヵ年を費やして完成した。表紙は宝相華唐草文様、見返し絵には釈迦説法図や経の内容を表す絵など多彩な図様が示されている。本来5300巻ほどあったものであるが、桃山時代に山外に移動し、国宝指定のものでは十五巻が中尊寺に伝わっている。
中尊寺大長寿院 蔵
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