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中尊寺の歴史

年表

天平21年(749) 日本で初めて金が陸奥国(現在の宮城県)で産出される。
延暦21年(802) 征夷大将軍坂上田村麻呂、胆沢城を築き、鎮守府とする。
嘉祥3年(850) 慈覚大師円仁、中尊寺を開山(寺伝)
永承6年(1051) 前九年合戦起こる。
天喜4年(1056) 藤原清衡生まれる。
康平5年(1062) 安部氏滅亡、前九年合戦終わる。藤原経清(清衡の父)殺される。清衡7歳。
康平6年(1063) 清原武則、前九年合戦で官軍を支援した功により、鎮守府将軍に任ぜられる。
永保3年(1083) 後三年合戦起こる。清衡28歳。
応徳3年(1086) 清衡、妻子を殺害される。
寛治元年(1087) 清原氏滅亡し、後三年合戦終わる。
嘉保ないし康和年間(1094年から1104年の間)
この頃に清衡、平泉へ移る(推定)
長治2年(1105) 清衡、中尊寺の造営に着手する。清衡50歳。
天治元年(1124) 8月20日、金色堂上棟(棟木墨書銘)、清衡69歳。
大治元年(1126) 3月24日、清衡、中尊寺大伽藍一区を建立し供養する(供養願文)
大治3年(1128) 7月17日、清衡死亡、73歳。
仁平3年(1153) 基衡と京の摂関家(藤原頼長)との間で争われていた、年貢増徴問題が解決する。
保元2年(1157) 3月19日、基衡死亡。
嘉応2年(1170) 5月、秀衡、鎮守府将軍に任ぜられる。
承安4年(1174) 源義経、平泉へ下る。
治承4年(1180) 源頼朝、伊豆で挙兵。義経平泉を発ち、頼朝軍に加わる。
養和元年(1181) 8月、秀衡、陸奥守に任ぜられる。
文治元年(1185) 3月、平氏、壇ノ浦の戦いに敗れ滅亡。
頼朝と義経の不和、決定的となる。
文治3年(1187) 2月、義経、平泉に潜伏との情報、頼朝に知れる。
10月29日、秀衡死亡。
文治4年(1188) 2月と10月、藤原基成(泰衡の母方の祖父)と泰衡に義経追討の宣旨下る。
文治5年(1189) 閏4月30日、義経、泰衡に攻められ、衣河館にて自害する。31歳。
6月26日、泰衡、弟忠衡を殺す。
7月19日、頼朝、奥州征伐のため鎌倉を出発。
8月22日、頼朝、平泉に入る。
9月3日、泰衡、出羽国比内郡において家臣河田次郎に殺される。35歳。奥州藤原氏滅亡。
建久6年(1195) 鎌倉幕府、葛西清重らを奥州惣奉行として平泉地方を管轄させる。
正応元年(1288) 幕府、金色堂に覆堂を造立して保護する。
嘉元2年(1304) 幕府、経蔵を修理する。
建武4年(1337) 中尊寺諸堂焼失。
慶長3年(1598) 紺紙金銀字交書一切経・紺紙金字一切経が中尊寺から持ち出される。
寛文5年(1665) 中尊寺、東叡山寛永寺の直末寺となる。
延宝8年(1680) 仙台東照宮別当仙岳院亮栄、中尊寺別当職を兼帯する。以来、仙岳院院家が兼帯の例となる。
元禄12年(1699) 伊達藩により金色堂修理行われる。
明治9年(1876) 明治天皇、東北御巡幸。中尊寺に行幸。
明治30年(1897) 古社寺保存法により金色堂修理。特別保護建造物(現在の国宝建造物に相当)に指定。
明治42年(1909) 本堂再建成る。
昭和4年(1929) 金色堂、国宝保存法により国宝に指定。
昭和5年(1930) 金色堂修理行われる。
昭和25年(1950) 朝日文化事業団の協力により、奥州藤原氏御遺体の学術調査を実施する。
昭和26年(1951) 金色堂、文化財保護法により国宝建造物第1号に指定される。
昭和30年(1955) 宝物収蔵庫(旧讃衡蔵)完成。
昭和33年(1958) 4月、別格大寺に昇格し、天台宗東北大本山の称号を許される。
11月、天台宗総本山延暦寺より不滅の法灯を伝承。
昭和43年(1968) 昭和37年からの金色堂解体修理(昭和の大修理)終わる。
昭和45年(1970) 昭和天皇・皇后、中尊寺行幸啓。
昭和54年(1979) 中尊寺境内、国の特別史跡となる。
昭和55年(1980) 藤原清衡公850年御遠忌特別大祭催行。
昭和61年(1986) 藤原秀衡公・源義経公・武蔵坊弁慶800年御遠忌特別大祭催行。
平成2年(1990) 金色堂保存施設(新覆堂)改修工事完成。
平成9年(1997) 金色堂国宝指定100年記念祭催行。
平成12年(2000) 3月、新宝物館讃衡蔵落慶。
中尊寺開山1150年祭催行。
11月、「平泉の文化遺産」が「世界遺産」国内候補となる(暫定リストに登載)
平成23年(2011) 6月、「世界文化遺産」に登録

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