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国宝 金色堂 大修理50年記念

中尊寺貫首 山田 俊和

 “七宝荘厳の極楽浄土”の姿が蘇り、国宝中尊寺金色堂修復の落慶法要が執り行われたのは1968(昭和43)年5月1日のこと。7年間にも及ぶ「昭和の大修理」から50年目を迎え、いま改めて「歴史のなかでの中尊寺」について伺うと、山田俊和貫首は「中尊寺はつねに歴史を受け入れ、歴史とつながり、歴史を映し出してきました」と教えてくれた。

 明治の修理で発見された棟木の墨書銘によって、金色堂が平安時代後期の1124(天治元)年、奥州藤原氏初代清衡公によって建立されたことが確認されている。

 「墨書には清衡公とともに“女檀”(女性の施主)として安倍氏・清原氏・平氏という三人の女性が名を連ねています。安倍氏とは清衡公の母、清原氏とは戦いで子どもとともに命を失った先妻、平氏とは金色堂建立当時の正室。古代東北の戦乱、前九年・後三年の戦いに翻弄された母と先妻にまで建立の功徳を分けています。清衡公がみちのくに起こった不幸な戦乱に何を想い、ここ平泉で何を目指したのかを伝えているのです。」

 時代は降り、奥州藤原氏が滅亡して500年目の1689(元禄2)年、この地を訪れた松尾芭蕉が『奥の細道』で金色堂の様子を記していることも貫首は語る。

 「『七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新たに囲て、甍を覆て雨風を凌。暫時千歳の記念とはなれり』。江戸深川から500kmの旅の果てに見た情景が目に浮かぶようです」

 また、傷みが極限に達していた金色堂をすべて解体し、内陣部材を東京国立文化財研究所に移送しての昭和の大修理は金箔約3万枚、螺鈿細工用の夜光貝580余個を使用。解体された覆堂は移築保存され、コンクリート造の新覆堂を建設、覆堂内部はガラススクリーンによって保護されている。

 「単に修理ということでは無く、平安時代の金色堂を蘇らせるということに技術者も識者も知恵と匠の技を結集させたのです。螺鈿や蒔絵、漆工芸、彫金技法など、日本が世界に誇る匠による緻密な修理作業の積み重ねは、奇しくも東京オリンピック(1964)へ向けて一丸となった世界に追いつけ追い越せという世相にも重なります。」

 さらに、東北と言えば、2011(平成23)年に発生した東日本大震災も忘れることはできない。

 「あれから7年、中尊寺境内では毎年三陸郷土芸能奉演を行ってきました。遡れば、明治の金色堂修理の際にも三陸大津波があり、中尊寺の僧侶はほとんど情報も無いまま三陸へ慰霊の旅へ向かっています」

 2024年には落慶から900年を迎える中尊寺金色堂は、これからも次世代に文化遺産を継承していくための様々な取り組みを進めていくに違いない。そうしたなかで、2年後に迫った東京オリンピックでは海外からも多くの方が中尊寺を訪れるだろうが、そのとき中尊寺は日本の世相をどう映し出しているのか。

 「ぜひ、岩手を、平泉を旅して、大自然と人々のいとなみを感じられるとともに、中尊寺金色堂をお参りされ、仏教が説く“極楽浄土”、平和を感じていただければと思います」
 

平成30年 行事予定

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